理事長挨拶
 此の度,牛島定信前理事長の退任に伴い理事長職を引き受けることになった。一介の児童精神科医がサイコセラピーという巨大な領域の実に多様な専門性を包括する学会である日本サイコセラピー学会の代表者となってしまった。
 これは大変なことである。
 生来の慌て者を地でいった観がある。
 とはいえ,これを言い訳や愚痴ととらないでいただきたい。医学部卒業後37年間のうち33年間を児童精神科臨床に関わった精神科医の一人としてサイコセラピー(精神療法)の医療現場における現状には忸怩たる思いがあり,これをなんとかせねばならないという思いの強さは人後に落ちないと私なりの自負はある。現在の医療現場におけるサイコセラピー事情はCBT(認知行動療法)一色といってよい状況である。
 CBTの普及は英国に倣った国策でもあるのだろうが,背景には診療報酬点数の評価において従来のサイコセラピーの効果とその信頼性に対する行政 側の根深い不信感があることは疑う余地もない。
 サイコセラピー各学派はこのことに危機感を持って対応せねばならないだろう。いうまでもなく私はCBTの意義を過小評価するつもりはない。
 しかし,想像していただきたい,精神科医や児童精神科医による診療のツールがCBTと薬物療法しかないという未来を・・・。
 これでは精神分析あるいは力動精神医学的サイコセラピー以外はサイコセラピーの王道として受け入れようとしなかった苦い過去の焼き直しになるのではないだろうか。幸いわが国には森田療法を中心に精神分析とは一線を画するサイコセラピーが以前から存在し,子どもの世界では児童分析とは異なる次元で遊びを治療に用いたVirginia M. Axlineのプレイセラピー技法が盛んに導入された歴史を持っている。
 私が考えるサイコセラピーの将来とは,CBTも,精神分析も,ユング派サイコセラピーも,森田療法も,プレイセラピーも,そのほか多くの信頼できるサイコセラピーの諸流派が独立に臨床および理論活動を展開しながら,互いに影響を受けあって進化していくという柔軟でしなやかな姿である。このような未来へ向かうためには,サイコセラピーの諸流派を担ってきた心理系および医療系の専門家が広く結集し,実践家としての誇りをもって分野を越えた(職種の境,流派の境を越えたという意味である)連携を実現する必要がある。本学会は年次大会を中心に,各流派のサイコセラピー実践の成果を発表しあい,あるいは一つのテーマをめぐる各学派の見解を寄せ合って議論しあうことを通じてこうした連携を信頼に満ちたパートナーシップとして実現しようとしている。理事長就任にあたって,本学会が医師(精神科分野の医師とは限らない)や心理士はもとより,サイコセラピーを展開する教育界や福祉領域の専門家も参加し,職種・流派を越えて腕を磨き合える学会としてさらに前進していけるよう,微力ながら力を尽くしたいと思う。



国立国際研究センター国府台病院精神科部門診療部長
齊藤万比古